語り手の不確実さ
皆さん、黒澤明の『羅生門』という映画はご存知ですか?芥川龍之介の『羅生門』が原作だと勘違いされがちですが、正しくは太宰治の『藪の中』が原作です。これは日本人で初めてヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞して当時話題になった黒澤明の代表作です。
ざっくりと内容を説明しますと、ある殺人事件の当事者や目撃者の証言が語られるのですが、どの証言も食い違っているという人間のエゴイズムを追及した作品となっています。
こういうことって実生活でも経験がある人はいるのではないでしょうか?何か揉め事があったときに何人かの当事者に話を聞くと、どの人も自分の都合のいい話をするものですね。まあ気持ちは分かりますが、そういう場面に実際に出会うと、想像もしない人が嘘をついていることを知りショックを受けたりしました(笑)。
さて、タイトルでもあるとおりこの「語り手の不確実さ」というものは文学でも多く使用されています。僕が読んだことがあるので、一番それを感じたのは朝井リョウの『何者』です。
この作品で朝井リョウは史上最年少で直木賞を受賞しました。大学生の就活をテーマに様々な人間模様が描かれた名作です。これは最後に大どんでん返しの展開となっていて、かなり読み応えがあります。しかもこの作品の面白いところは、二度読むと文章中に様々なヒントが隠されているという素晴らしい構成となっているところです。
要するに僕たちの視点というものはあくまでも主観的なものなので、それが正しいものとは限らないということです。別の人からの視点で見ればそれは別の感じ取り方がありますし、人間って意外と曖昧ってことですね。
両作品、一見の価値はあるのでぜひ見てみてください。
最後までご覧いただきありがとうございました。