現実逃避の何が悪い

小説だって若者の読み物だと過小評価されていた時代はありました。ならば、ゲームや漫画やアイドルだっていつかは大衆に認められるはず。微力ながら、そういうお手伝いができればよいと思っています。

【真田丸】主人公は昌幸?

 視聴率が微量ですが、下がってますね。第三話18.3%、第四話17.8%。

 

 評判がいい割には視聴率になかなか反映されない。これは視聴者に何らかの不満があるからでしょう。実は僕も少し『真田丸』には違和感を感じています。この物語、堺雅人が主演なのでしょうか?もちろん真田源次郎信繁、後の幸村が主人公というのは明らかですがどうもイマイチそれが伝わってこない。むしろ主人公は父昌幸といっても過言ではないしょうか。それほどに源次郎の見せ場があまりにも少なすぎる。

 

 もちろん様々な人物にフォーカスすることは大切だと思いますし、一年かけて放映する大河ドラマならばそのあたりは丁寧に描けるとは思います。しかし、やはり最初にフォーカスすべきは主人公だと僕は思います。この『真田丸』は源次郎の青年期、ちょうど武田家が滅亡する時期から物語が始まります。さすがにまだ青年の源次郎ですから、あまり騒動の中心に立たせるわけにはいきません。僕はこの時点で失敗だったと思います。これならば源次郎の少年期から始めた方が、彼の生い立ちがよく分かって視聴者にも主人公が源次郎という印象が残るでしょう。しかし武田滅亡期から始めたため、源次郎が序盤から物語の中心から少し離れてしまいました。。合間合間に源次郎が切れ物だとにおわせるシーンが挟み込まれていますが、それで状況が覆ったというようなこともないのでどうもインパクトが弱い。これでは昌幸が主人公だと思っても仕方ありません。その点現在の連続テレビ小説『あさが来た』は本当に素晴らしいと思います。僕は最初、あさの姉役が宮崎あおいと知り、主演の波瑠がかすれるのではないだろうかと懸念していました。けれども実際はそんなことはなく、はつにフォーカスされながらあさもしっかり愛されるキャラクターになっている。これはやはり脚本家の腕でしょう。脚本担当の三谷幸喜がすべて悪いとはいいませんが、僕は物語において主人公が主人公じゃなくなることが最も嘆かれることだと思います。

 

 そもそも近頃の三谷幸喜の映像作品は豪華のキャストを使うばかりで、キャラ立ちが弱いイメージがあります。彼の舞台は見たことはないが『ラヂオの時間』のころのような三谷幸喜の才能を感じさせる作品が最近見当たらない。今回の大河も豪華のキャストのわりには一人一人があまり魅力的に描かれていない。あえていうなら、草刈正雄内野聖陽草笛光子ぐらいでしょう。それ以外の登場人物は弱い。大泉洋でさえも、初回のころの輝きを失ったと思います。よもや堺雅人をこれほど魅力的に描けないとは彼の作家性を疑います。

 

 何より許せないのは織田信長役の吉田鋼太郎です。期待しただけにあまりにもひどすぎる。大した見せ場もなく第4話で本能寺の変が起こり、開いた口が塞がりませんでした。むしろ光秀に暴力を振るシーンだけしか出番がなく、小物感しか感じませんでした。僕が小さい頃『利家と松』で初めて見た反町隆史演じる織田信長を、吉田鋼太郎がとうとう塗り替えてくれるであろうと胸を膨らませていたのに……。完全に裏切られました。織田信長はシルエットだけのほうが、却って『桐島、部活止めるってよ』の桐島のようになぞめいた存在、神のような存在というイメージを植えつけることができたのではないでしょうか。なぜ大河ドラマでこれほどの人物をないがしろにしたのでしょうか。

 

 史実に忠実なところは確かに評価されるべき点でしょう。しかし、僕としてはやはり物語の構成をもっと練ってもらいたかったです。逆に言えば、物語の構成のためならば多少史実は無視しても僕はいいと思います。なぜなら物語はあくまでの虚構だからです。『あさが来た』でも、あさの夫新次郎のモデル広岡新五郎は本来妾をとっていました。しかし、朝ドラとして受け入れられやすい話にするためにあえて妾をとらない設定にしたのです。度がすぎてはいけませんが、物語をより面白くするために、主人公をはっきりさせるために、少しフィクションを盛り込んでもよかったと思います。今回は歴史マニアに受けがいいだけのように思えてきました。

 

 まあ否がおうでも、これから源次郎が活躍していくはずですから今後も見ていこうとは思います。三谷幸喜真田幸村を使ってどのようなメッセージを僕たちに提示してくれるでしょうか。

 

 最後までご覧いただきありがとうございました。